第二章トーネット社の歴史

第一部:ゲブリューダー=
トーネット商会の推移

■曲木の特許消滅

 1869年にトーネットの曲木に関する特許が消滅した時、満を持して待機していた各家具メーカーが、競ってトーネット方式を模倣し始めました。その中でも特に動きの目立ったのが、ヤコブ・ヨゼフ・コーン社でした。後にトーネット社と合併して「トーネット・ムンドス社」となるコーン社も、当初はまったくトーネットの模倣に過ぎませんでした。
 しかし、ある程度の期間が過ぎ、技術的に不明だった部分も習練によって解決されてくると、コーン社を始め各社とも、それぞれ独自の発想やデザイン思想を持ち始めました。こうして曲木家具のバリエーションは、単に椅子だけではなく、キャビネット、テーブル、本棚、植木台、吊り輪、果てはビデにまで及ぶようになります。それとともに、購買層の趣味や志向が多岐に渡るようになると、これがさらに品種の多様化を促すことになりました。

 1870年から1880年の間、競争会社はオーストリアだけでなくイタリア、スペインなど他国にも数多く出現します。それゆえトーネット社は、その製品の装飾的な部分をできるだけ取り去り、材料の直径を太くして単純化を図っていったのです。

ウィーンのシュテファンプラッツに
あったトーネット本社
J&J Kohn社の広告(1883年 ロンドン店)

■劇場用椅子の開発

 1888年、トーネット社は、「国民劇場」のために座面を跳ね上げる、シアター・シートの椅子を開発・販売します。それまでは劇場用椅子というものは特にはなく、単に椅子を並べるだけに過ぎなかったものが、この新しい形式の椅子が評判を呼び、1911年にはその種類も12以上を数えるようになります。その結果、ほとんどの劇場の要望は満たされるようになり、ひとつの新しいジャンルが開拓されたのです。

トーネットのシアター・チェア カタログより
アムステルダムの劇場
(1930年 トーネット社のカタログより)
トーネット劇場用椅子のための
カタログの表紙(1900~1910年)
トーネット劇場用椅子のための
カタログの表紙
(1922年)

 1888年には30ページにわたるカタログが製作され、そこに掲載されている椅子を始めとする製品は、実に348種もあり、これが顧客に有償で配布されました。

■会社の発展と生産量増加

 1890年、トーネット社は、同社として7番目の工場を現在のドイツはフランケンベルグ、エイダーに建設します。当時、この地はヘッセンに含まれていましたが、この工場は各地からノック・ダウン方式で輸送されてきた椅子類のアセンブル作業を行ない、それと同時に、既に販売された商品の修理を担当していました。

世界各地のトーネット社販売網を
示すポスター(1885年)

1908年、ボスニアとヘルツェゴヴィナが、オーストリア=ハンガリー二重帝国に併合されて以来、国際政治情勢は一段と悪化し、人々の上に戦争の暗雲が立ち込め始めていました。しかし、その後ヨーロッパ各地の産業はフル操業を開始、生産量は増大しました。
当時、トーネット社はオーストリア有数の大家具メーカーとなっていましたが、その概要は次のとおりです。

従業員数
6千名
蒸気機関
20台
その馬力総数
1,100馬力
椅子生産量
日産 4千脚
関連工場数
60工場
関連会社数
52社
総従業員数
3万5千名